2007北海道マラソンが9日、札幌市の真駒内セキスイハイムスタジアムと真駒内公園内園路の2カ所から中島公園までのコースで行われ、男子はジュリアス・ギタヒ(日清食品)が2時間17分26秒で、女子は加納由理(セカンドウィンドAC)が2時間30分43秒で、ともに初優勝を果たした。男子の2位は高見沢勝(日清食品)が入り、3位はオンベチェ・モカンバ(アイデム)。女子は小林雅代(ファイテン)が2位、今年の名古屋国際2位の弘山晴美(資生堂)は3位だった。フルマラソン出場が3回までの25歳以下の選手を対象とした新人賞は、男子が12位の中尾勇生(トヨタ紡織)、女子は9位の重田明穂(旭化成)が選ばれた。
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ギタヒが35キロをすぎて抜け出し、2位に47秒差をつけ初優勝した。
蒸し暑さの中、例年より遅い5キロ16分台前半のペースで進んだ。15キロ付近から下森直(安川電機)が飛び出し独走。一時は2位以下を1分以上引き離したが30キロすぎ、ギタヒら3人に追いつかれた。35キロをすぎてギタヒがスパート、後続を振り切った。2位は高見沢、3位は高見沢と同じ山梨学院大出身のモカンバ。2003年2位の中崎幸伸(トヨタ自動車九州)は6位、喜多健一(九電工)は13位だった。
35キロ付近でモカンバ(左)、下森(後方)を振り切り、一気に先頭に躍り出た男子優勝のギタヒ(金田淳撮影)
台風一過の残暑の中、スローペースにじれたかのように、中盤で下森が飛び出す展開。一時は1分以上も離された。だが、初マラソンのギタヒは全く焦らなかった。
「30キロまでゆっくり集団についていき、35キロあたりでスパート」。スピードランナーはその作戦通り、30キロすぎに下森をとらえた。そして勝負どころの35キロすぎ、モカンバらを一気の加速で振り切り、ゴールの中島公園に駆け込んだ。「蒸し暑かった」と苦笑いしながらも、会心のレースに満面の笑みを浮かべた。
スピードには定評がある。仙台育英高の留学生として1995年、全国高校駅伝の1区(10キロ)で区間賞を取った。その時の27分48秒はいまだ破られていない。ケニア代表として、2000年シドニー五輪の五千メートルにも出場した。ハーフマラソンは1時間1分台。だが、ここ数年は左右のふくらはぎの故障に泣いた。「駅伝に出られず、チームメートにも迷惑をかけていた」と不本意な日々を過ごしていた。
再起を促すかのように、今年になってけがが完治。7月から千歳と苫小牧で行った合宿で、久しぶりに練習メニューを全部こなすことができた。そこで自信を付けたからこそ、初の42・195キロにも「別に緊張はしていない。長い距離を走るだけ」と平常心で臨むことができた。
レース前は「今後の予定はわからない」と答えていたが、「ケニア代表としてマラソンで五輪や世界選手権に出たい」と言い切った。優勝を機に、世界の大舞台で活躍する新しい夢が生まれた。
(福田講平)
ゴール直前でモカンバをかわし、男子で日本人最高の2位に入った高見沢
26歳の伏兵が堂々の2位。初マラソンの高見沢は、山梨学院大時代の1学年後輩のモカンバをゴール手前30メートルで抜き去ると、左手でサングラスを外し、右手でガッツポーズをしながらフィニッシュ。「後輩には負けたくなかった。意地を見せました」
15キロ付近でまず下森が飛び出したが、「マイペースでいこう」と焦らず、2位集団につけた。40キロ地点では4位。そこから川頭健一郎(NTN)を抜いて3位に上がると、ゴール直前でモカンバをかわし、ギタヒとの日清食品勢ワンツーフィニッシュを決めた。
実は、残り7キロ付近から右のふくらはぎが痛かった。「足が止まってしまうかと思ったけど、運良く前の選手が落ちてきてくれて元気になった。前が迫ってきたら抜いてやろうと必死だった」と、粘りのレースを振り返った。
長野県出身。日清食品で本格的にマラソンを始めるつもりだったが、故障が重なり、これまではハーフマラソンが最長だった。フルマラソンの練習に取り組んだのは苫小牧市内で行った直前合宿から。1カ月間で約1000キロを走り込んで、好結果に結びつけた。
今後は、北京五輪の代表選考レースとなる東京マラソンなどの出場を目指す。「競技をやっている以上は世界を狙いたい」。無名の存在だった高見沢が、北の大地で自信をつかんだ。(根本剛)
男子6位の中崎=写真=は、左足首のけがによる不振からの復活を期したが「練習での感触の通りかな。本番でプラスアルファの力を出せないまま終わった」と、不完全燃焼に終わったレースを淡々と振り返った。
レース中盤まで2位集団の中で粘ったが、「30キロぐらいで脚に疲れがきた」ため、スパートをかけたギタヒらを追い切れなかった。
「足首の故障で空回りしていた。もっとスピードを上げていきたい」。まだ果たしていないフルマラソンでの優勝に向けて、課題を挙げていた。
アテネパラリンピックの男子マラソン(視覚障害)の金メダリスト高橋勇市さん(42)=東京都=は、2時間53分45秒でゴール。伴走者はシドニー五輪のマラソン代表川嶋伸次さん(41)、2001年北海道マラソン優勝者の佐々勤さん(33)が務めた。
高橋さんの左手と伴走者の右手を赤いひもで結びつけ、ぴったりとくっついて走る。伴走者がひじを動かし、曲がる方向を示した。川嶋さんが17キロまで務め、佐々さんと交代。
高橋さんは「川嶋さんが、交代後も給水のコップを取るために並走してくれて、感謝でいっぱいです」。
沿道の声援のほかランナーから名前を呼んで励まされ「元気が出て、思わずスピードが上がってしまいました」と笑顔を見せた。
男子3位のモカンバ=写真=は厳しい暑さで遅いペースの展開に「我慢、我慢と言い聞かせて走った。25キロでスパートしたが、30キロすぎで、しんどくなって体が重かった」と振り返った。
山梨学院大時代は箱根駅伝などで活躍し、フルマラソンは6度目。優勝したギタヒを追いかけ、40キロ地点では2位につけたが、ゴール目前で山梨学院大の先輩である高見沢に抜かれた。
2時間18分18秒での表彰台は「結果が出なくて残念」と少し悔いが残ったが、ケニア人の25歳は「ゴールまで楽しく走れた。我慢してベストを尽くせる力を身につけて、また挑戦したい」と笑顔を見せた。
男子128位でゴールした北広島市の団体職員笹森信明さん(61)=写真=は、第1回から続ける連続出場と完走の記録を21に伸ばした。「序盤は抑え気味にしてペースを保っていたので、暑かった割には安定した走りだった」と言いながら、汗をぬぐった。
40歳の時に北海道マラソンが始まると聞いて始めたマラソン。今でも年5回は大会に出場している。
今回記録した2時間55分49秒については、「最近は3時間を超えていたので、いいタイム」と満足そう。
今後の記録更新にも「今日が1回目だと思って、精進したい」と意欲満々だった。
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スタート直後から加納が独走態勢に入り、そのまま逃げ切った。序盤、5キロ16分台の速いペースを刻み、後続の弘山、小林、挽地美香(天満屋)らを一気に引き離した。終盤はペースが落ちたが、粘り強く走り、今回同様暑さとの戦いとなった昨年の優勝タイムを2分上回った。23キロすぎで弘山をとらえた小林が2位。弘山はトップから約3分差の3位、挽地は4位だった。2度優勝している田中千洋(大通)が5位。道内勢は太田尚子(作.AC)が13位に入った。
スタートから首位を守り初優勝した加納(玉田順一撮影)
持ち味の小気味よいピッチ走法は、30キロすぎで姿を消した。みる間に落ちるペース。ゴール後は脱水症状に陥り、点滴を受けた。2度目のマラソンでつかんだ初勝利は、夏のマラソンの厳しさを思い知ることになった。
舞台は初秋の北海道。涼しいはずが、レース中に気温が30度を超え「ゴールできないかも」。そのとき、加納の脳裏に浮かんだのは酷暑で行われた世界陸上の女子マラソン。「(銅メダルの土佐礼子をはじめ)みんな頑張っていた。自分にできないわけがない」。気力を奮い立たせた。
米国で走り込んだ好調さを背景に「飛ばして、逃げ切って勝ちたかった」と、思い描いた通りのレースを展開した。スタートから飛び出し、着実に弘山らを置き去りにしていく。その差は5キロで13秒、20キロでは33秒と広がり、独走態勢を築いた。
集団の中で安定したピッチを刻み3位に入った初マラソンの時とは、違うパターンで勝てたことに意味はある。が、北京五輪代表争いを考えると、終盤落ち込み、目標の2時間30分を切れなかった今回の評価は難しい。加納も「過酷な経験は自信になるが、速いレースでも後半耐えられないと勝負できない」と、収穫と課題を挙げた。
資生堂時代に、同僚の弘山の姿にあこがれ、28歳でマラソンに挑戦した遅咲きランナーが、北京への扉をこじあけることができるか。「(補欠代表のような)悔しい思いはもうしたくない」と誓った加納は来年1月、初マラソンと同じ大阪国際女子で、勝負に出る。(大崎哲也)
粘りの走りで3位に入り、笑顔も見せた弘山
39歳の意地だった。弘山は23キロすぎに3位に落ちたがその後、順位を落とすことなく道都のゴールを駆け抜けた。
スタートから加納が飛び出しても、ベテランはあわてない。「(加納が)最初から飛ばすのはわかっていた。自分のペースで行こうと思った」。2番手から虎視眈々(たんたん)とトップを狙ったが、ジリジリとした暑さにその体力を奪われた。20キロすぎにペースダウン。1度は引き離した小林に追い抜かれた。
「一時は自分がゴールできるかわからないくらいだった」。崩れそうになるレースを必死に粘った。3大会連続で五輪の長距離種目に出場し「トラックの女王」と称された名選手の意地の走りだった。
40キロすぎに動きが良くなったといい、ゴール後の足取りもしっかりしていた。「もう少し早く回復できれば。私の中ではけっこう頑張ったレース」。苦しいレースを走りきった充実感さえ漂わせた。
昨年の名古屋国際女子で、悲願のマラソン初優勝。日本女子陸上界で例を見ないほど息長く、国内トップに君臨する“鉄人”だ。今後については「マラソンを続けるか、まだ分からない」と明言を避けたが、その目はしっかりと北京五輪をとらえているように見えた。(佐藤大吾)
2位でゴールした後、サングラスを外して笑みを浮かべる小林
23キロすぎ。小林は弘山に追いつくと、一気に抜き去った。そのまま2位でフィニッシュ。「思い切って行かないと後悔するから」と、積極的なレース展開が奏功した。
スタート直後から弘山と激しい2位争い。17キロすぎにいったん離されたが、20キロ付近で応援者を見つけ、「きつかったけど、なんとか『ヒイ』と笑った。笑うと約束していたから」。不思議と力がわいて、ペースが落ちた弘山を追い抜いた。ゴールするとマネジャーと抱き合い、涙また涙。「勝ってないのに、勝ったみたいでしょ」と笑わせた。
今のチームに移籍した昨年は、故障続きでほとんど走れなかった。7月の札幌国際ハーフマラソンも35位に沈んで、大会前は注目もされていなかった。うれしい2位に、「チームが目指す11月の駅伝につながる」と、手応えをつかんだようだった。
道内勢トップの2時間54分55秒で13位に入った太田=写真=は、「頑張りました。うれしいです」と、満足いくレースを笑顔で振り返った。
昨年の大会では3時間を切れなかった。「安定しているねって言われるけど、後半失速するのが怖くて無難に走っちゃう」。前後半でほぼ同じペースを守れるが、それでは上を狙えない。リスクもあるが、スピードと持久力を兼ね備えた攻めの走りが理想だ。
その課題を再認識できた今回のレース。「この秋こそ殻を破ります」。太田は力強くそう宣言した。
北海道マラソンに先立ち9日午前9時半から、タケダファミリーマラソンが札幌市南区の真駒内セキスイハイムスタジアムを中心に開かれ、5歳から80代までの2081人が青空の下、仲良く走りながら思い出をつくった。
競技は10キロ、ウオーキング(約7キロ)、5キロ、キッズラン(5、6歳の幼児対象)、3キロ、2キロ、2キロファミリーの順でスタートした。
2キロに出た札幌真駒内緑小6年の須藤雛子さん(12)は「1年生から走って今年が6回目。気持ちよく走れた」と話した。2キロファミリーに出た青森県の西村知奈津ちゃん(6つ)は母親の三佐子さん(37)とゴールし、「途中でころんだけど最後まで走れた」と満足そうだった。
手をつないで仲良く公園を駆け抜ける親子ら
| 《1》 | 加納由理(セカンドウィンドAC) | 2時間30分43秒 |
|---|---|---|
| 《2》 | 小林雅代(ファイテン) | 2時間33分 0秒 |
| 《3》 | 弘山晴美(資生堂) | 2時間33分39秒 |
| 《4》 | 挽地美香(天満屋) | 2時間36分15秒 |
| 《5》 | 田中千洋(大通) | 2時間37分52秒 |
| 《6》 | 柳田しげ子(ナンチク) | 2時間39分20秒 |
| 《7》 | 菅野勝子(アコム) | 2時間40分53秒 |
| 《8》 | 内田尚子(デオデオ) | 2時間41分31秒 |
| 《9》 | 重田明穂(旭化成) | 2時間42分19秒 |
| 《10》 | 立石恵里華(九電工) | 2時間43分38秒 |
フェアウェルパーティーで乾杯する女子優勝の加納、3位の弘山、2位の小林(左から)
フェアウェル(さよなら)パーティーが9日夜、札幌パークホテルで開かれた。入賞者へのメダルなどの記念品授与のほか、昼間の熱いレースを振り返る映像が大型ビジョンで流され、選手や大会関係者ら約1000人が力走をたたえあった。
女子優勝の加納由理、男子優勝のジュリアス・ギタヒらが会場に姿を見せると、大きな歓声と拍手が起こった。一流選手と交流できるチャンスとあって、サインや記念撮影を求める一般ランナーが押し寄せたが、加納やギタヒ、弘山晴美らはみな、笑顔で応じた。中でも加納は突出した人気ぶり。加納自身は、晴れやかな場はあまり得意ではないというが、「サイン、相当しました。これが優勝したってことなんですね」と、勝利の実感をかみしめていた。
◇主催 2007北海道マラソン組織委員会(北海道陸上競技協会、北海道新聞社、北海道文化放送、エフエム北海道、道新スポーツ、北海道、北海道教育委員会、札幌市、北海道体育協会、北海道市長会、北海道町村会、札幌商工会議所、北海道観光連盟、札幌観光協会)
◇主管 札幌陸上競技協会
◇後援 日本陸上競技連盟
◇協賛 武田薬品工業
◇特別協力 フォルクスワーゲングループジャパン、出光興産、NTTドコモ北海道
◇協力 日本航空、全日空、近畿日本ツーリスト、札幌パークホテル、ゼファー