北海道マラソン

前大会報告

2007/08/09 北海道新聞朝刊全道

<2007北海道マラソン>
来月9日号砲 軽やかにパワフルに 道都を駆けろ

 2007北海道マラソン(北海道、札幌市、北海道新聞社などでつくる同組織委員会主催)は9月9日、札幌市内をめぐる42.195キロのコースで行われる。昨年、節目の20回を迎え、新たな歴史を刻む今大会には史上最多の約5200人がエントリー。感動と記録を求め国内外のトップ選手と全国の市民ランナーが集い、時に軽やかに、時に力強く、初秋の道都を駆け抜ける。

スポーツジャーナリスト 増田明美さんに聞く

増田明美さん

市民マラソンであると同時に「トップアスリートへの登竜門の大会になれば」と大会への期待を話す増田さん(加藤哲朗撮影)

集中力どこで発揮 若手の登竜門に

 日本のトップアスリートが競う大会であると同時に、走ることが大好きな市民ランナーが集う場としての側面も持つ北海道マラソン。過去2回の出場経験のある元五輪ランナー、増田明美さんもその魅力を感じている1人だ。引退後、解説者として毎年大会を見続けてきた増田さんに、見どころや思い出、これからの北海道マラソンはどうあるべきかなどを語ってもらった。(聞き手・運動部 大崎哲也)

−−北海道マラソンには選手としてどんな印象を持っていますか。

「スタート地点で緊張感がないんです。会場が広いせいでしょうか。他のマラソンだと目標タイムを切らなきゃいけないなどと考えましたが、ここではすがすがしさを感じて、おおらかな気持ちで走れました。景色もすごくいいですよね。でも暑くて…。最初に走ったとき(1989年)転倒したんですけど、暑さでふらふらになっていたんです。走っている最中の楽しみは給水だけだったかな」

−−多くの選手が沿道の声援を特徴に挙げます。

「とてもいい感じです。大通からススキノ、中島公園までゴールに近づくにつれて人が増えるし、ランナーにとっては大きな力。私はススキノ辺りで声援を受けると、体に羽が生えたように軽く走れた感じがしたのを覚えています。『馬力出せ』って言われたこともあって、北海道らしいなあって思いました」

−−駅前通は多くのランナーが最も楽しみにしている場所ですが、走るためには4時間の制限時間をクリアしないといけません。

「もう少し長いといいんですけどね。日本のトップ選手は別ですが、より多くの市民ランナーに走りやすいタイムになるといいと思います。最低でも5時間、できれば7時間かな」

−−制限時間を延ばしてほしいという声は多く聞かれますが、交通規制などがネックになってます。

「確かに難しいのでしょうが、いろいろな考え方ができると思います。制限時間が7時間くらいになって、出場者が何万人という規模になれば、日本全国や世界へ、その街の強烈なアピールにもなるし、それだけの人が来るんだから観光にも役立つでしょう。知事や市長など行政のリーダーに熱意を持って取り組んでほしいことだと思います」

−−例年、暑い時期に行われてきた北海道マラソンは選手の強化に役立つと思いますか。

「思います。夏場のマラソンは体力が消耗するので走り方に気を使います。それにどこで集中力を発揮するかということを考えて走ります。谷口浩美さん(元五輪代表、第3回大会優勝者)は北海道マラソンを走った経験から、暑い中で集中できるのは10分間しかないと感じて、その時間をレースのどこに使えばいいかを学んだそうです。暑さの中でどう調子を上げるか、北海道マラソンはインテリジェント(理知的な)マラソンです」

−−ここで走ることがマラソン選手としての自信につながりそうですね。

「89年の東京国際女子マラソンで日本人トップの8位に入賞して(84年のロサンゼルス五輪途中棄権などの不振を乗り越え)『復活』と言われました。でも本当に復活したのはその3カ月前に走った北海道マラソン。東京へのいい練習になりました」

−−自信をつけるという意味では、有望な若手選手が飛躍できる大会とも言えそうです。

「若手育成をテーマにして、ロンドン五輪やその次を狙う若手の登竜門的な大会になるといいのでは。ここでしっかり走り切れれば、その後の秋や冬のマラソンの結果が全然違います」

−−最後に今年の大会へ期待することを。

「どのチームも夏は合宿をしていますから、その集大成の走りをして自信をつけてほしい。今年後半の駅伝やマラソンで活躍できるよう、この大会で弾みをつけてほしいですね」

<略歴>

ますだ・あけみ スポーツジャーナリスト。1964年千葉県生まれ。成田高3年の時、初マラソンを走って2時間36分34秒の日本最高記録を樹立。84年ロサンゼルス五輪のあと米国留学などを経て、92年に引退。ベストタイムは2時間30分30秒。北海道マラソンは89年3位、90年9位。7月、初の小説「カゼヲキル1助走」を出版した。

あの選手も…スター生んだ舞台

有森らここで復活、千葉は引退の場に、吉田初マラソンV

この大会には、さまざまな「顔」がある。

 走ることに喜びを感じマラソンを愛する市民ランナーにとっては大きな目標とあこがれを持てるレースであり、国内外のトップアスリートと一緒に走ることができる貴重な機会だ。4時間という制限時間の厳しさにもかかわらず、毎年参加者が増え続けているのはそのためだ。

 名選手にとってはどうだろう。マラソンの自信をつかみ、復活への勇気を与えたこともある。引き際の舞台を用意したこともある。

 1992年のバルセロナ五輪で銀メダルに輝いたあとスランプに陥った有森裕子は、95年大会で復活の優勝を遂げ、翌年のアトランタ五輪で銅メダルを獲得した。

 優勝した有森に続いて2位だったのが、初マラソンの山口衛里。その後故障に苦しんだが、98年の大会でマラソン挑戦6度目での初優勝を果たし、2000年のシドニー五輪切符をつかむ契機に。再び故障に見舞われたが、五輪後の初マラソンとなった02年の大会で7位の健闘を見せた。

 トラックからマラソンに転向したもののスランプに陥った千葉真子が、引退の瀬戸際からはい上がったのは01年の優勝だった。03年の世界選手権で銅メダルを獲得。北海道マラソンも04年、05年と2連覇するなど、一時代を築いた。昨年引退を決断。最後のレースは「チバちゃんファンが多い北海道で走りたい」と、マラソンランナーとしての素質を開花させたこの大会を選んだ。

 その千葉と高校の同期生だった渡辺共則は、昨年男子で2連覇。千葉の後を受け継ぎ「僕が北海道の渡辺と言われるように頑張りたい」とにこやかに語っていた。女子はマラソン初挑戦の吉田香織が優勝。155センチの小さな体に、大きな将来性を見た。

 次代を担うヒーロー、ヒロインはいつでも生まれる可能性がある。来年の北京五輪代表候補として、また新たな顔が月桂(げっけい)冠を頂くかもしれない。

<1995年>バルセロナ五輪以来、3年ぶりのフルマラソンで復活の優勝を遂げた有森裕子

<2006年>右腕に「ありがとう」の文字。ラストランのゴールまで100メートルを切り、サングラスを外す千葉真子

<2006年>フルマラソン初挑戦で独走劇を演じてレースを制し月桂冠を頂く吉田香織


昨年は… 気温30度超 渡辺(男子)初の連覇

猛暑の中、男女全選手が一斉にスタートを切る=2006年8月27日

スタート時の気温が30度と厳しい暑さの中、男子は暑さに自信を持っていた渡辺共則(旭化成)が2時間17分50秒で2連覇、女子は吉田香織(資生堂)が2時間32分52秒で初優勝した。

 男子は独走していた岩佐敏弘(大塚製薬)を32キロ手前で渡辺、久保田満(旭化成)、片岡祐介(大塚製薬−旭教大院)の3人がとらえ、一気に引き離した。最後は渡辺と久保田の一騎打ちとなり、ゴール直前で渡辺が久保田をかわして、2秒差で優勝した。3度の優勝を誇るエリック・ワイナイナ(アミノバイタルAC)は2位集団から抜け出せず、13位にとどまった。

 女子はフルマラソン初挑戦の吉田が序盤からレースを引っ張り、15キロ手前で抜け出して、そのまま独走。終盤はスピードが落ちたが、粘り強い走りで2位の田上麻衣(ユニクロ)に6分差をつけてゴールした。この大会限りでの引退を表明し、大会3連覇に挑んだ千葉真子(豊田自動織機)は、右太ももの肉離れなどの影響でスタートから出遅れ11位だった。

(選手の所属は当時)


コースなど一部変更

スタートを分離 通過制限は緩和

今年はスタート、折り返し、通過制限時間に変更がある。まずスタート。第1回以来の男女全選手による一斉スタート方式をやめ、日本陸連登録者は従来通り真駒内セキスイハイムスタジアム(旧真駒内屋外競技場)から、一般競技者(未登録者)は、同競技場から約800メートル南側の真駒内公園内園路からスタートする。

 スタートしてまもなく、最初の折り返し地点が設けられる。全コース中最も高低差のある部分で、その差は約30メートル。終盤の脚を生かすためにもペース配分には気を付けたいところだ。折り返し地点はまだ集団がばらけず、選手たちがひとかたまりのまま迎える可能性が高いだけに、スムーズに通過したい。

 4時間という制限時間もさることながら、ランナー泣かせだったのが5キロごとに設けられる通過制限時間。今年は全体の制限時間は変わらないが、通過制限時間は若干緩和され、例えば30キロでは昨年まで2時間48分だったが、今年は2時間52分になる。市民ランナーにとってはささやかながら朗報だ。

 最初の折り返し後は、昨年と同じ中の島通、宮の森・北24条通、追分通を経て西区発寒15の14で2回目の折り返しを迎える。昨年までの2カ所連続の折り返しはなくなり、走りやすくなるだろう。

 35キロすぎからは、左手に北大を眺めながら大通公園、そして多くの参加者が楽しみにしている駅前通へ。ここからゴールの中島公園までの直線2キロは、ひときわ大きな声援が送られるランナーにとっての「花道」だ。ラストスパートへの気力が沸き上がる場所でもある。

→コース詳細はこちら

チャリティー募金実施

交通遺児支援 今年も協力を

北海道マラソンとタケダファミリーマラソンは、交通事故防止の願いを込め、今年も交通遺児を支援するチャリティー募金を行う。参加料の一部を「北海道交通遺児の会」と「交通遺児育英会」への寄付金に充てるほか、郵便振替や銀行振り込みによる寄付も受け付ける。

 郵便振替は口座番号02720−1−56038。銀行振り込みは北洋銀行本店(普通)1830043へ。口座名はいずれも「北海道マラソンチャリティー事務局」で、9月18日まで受け付ける。

 問い合わせは大会事務局(電)011・232・0840へ。

◇主催 2007北海道マラソン組織委員会(北海道陸上競技協会、北海道新聞社、北海道文化放送、エフエム北海道、道新スポーツ、北海道、北海道教育委員会、札幌市、北海道体育協会、北海道市長会、北海道町村会、札幌商工会議所、北海道観光連盟、札幌観光協会)
◇主管 札幌陸上競技協会
◇後援 日本陸上競技連盟
◇協賛 武田薬品工業
◇特別協力 フォルクスワーゲングループジャパン、出光興産、NTTドコモ北海道

歴代の優勝者

(◎は大会記録、所属は当時)

第1回 1987年9月6日
▽男子 F・リジョフ(ソ連) 2時間24分28秒
▽女子 L・ベリヤエバ(ソ連) 2時間42分17秒
第2回 88年9月4日
▽男子 西政幸(旭化成) 2時間17分11秒
▽女子 J・ウェルゼル(米国) 2時間40分53秒
第3回 89年8月27日
▽男子 谷口浩美(旭化成) 2時間13分16秒
▽女子 L・モラー(ニュージーランド) 2時間36分39秒
第4回 90年8月26日
▽男子 篠原太(神戸製鋼) 2時間15分32秒
▽女子 L・ワイデンバック(米国) 2時間31分29秒
第5回 91年8月4日
▽男子 藤田幸一(沖電気宮崎) 2時間17分 5秒
▽女子 L・モラー(ニュージーランド) 2時間33分20秒
第6回 92年8月30日
▽男子 M・スカウト(南アフリカ) 2時間16分38秒
▽女子 O・アペル(メキシコ) 2時間30分22秒
第7回 93年8月29日
▽男子 T・ゲブレ(テクモ) 2時間15分34秒
▽女子 藤村信子(ダイハツ) 2時間33分10秒
第8回 94年8月28日
▽男子 E・ワイナイナ(コニカ) 2時間15分 3秒
▽女子 O・アペル(米国) 2時間36分33秒
第9回 95年8月27日
▽男子 T・ゲブレ(テクモ) 2時間15分 7秒
▽女子 有森裕子(リクルート) 2時間29分17秒
第10回 96年8月25日
▽男子 B・ベケレ(テクモ) 2時間14分26秒
▽女子 安部友恵(旭化成) 2時間31分21秒
第11回 97年8月31日
▽男子 E・ワイナイナ(コニカ) 2時間13分45秒
▽女子 小倉千洋(和光証券) 2時間33分30秒
第12回 98年8月30日
▽男子 A・トロッサ(テクモ) ◎2時間10分13秒
▽女子 山口衛里(天満屋) 2時間27分36秒
第13回 99年8月29日
▽男子 松本政大(NTT西日本) 2時間12分 8秒
▽女子 松尾和美(天満屋) 2時間32分14秒
第4回 2000年8月27日
▽男子 D・セロン(メキシコ) 2時間17分14秒
▽女子 市河麻由美(三井海上) 2時間32分30秒
第15回 01年8月26日
▽男子 佐々勤(旭化成) 2時間13分45秒
▽女子 千葉真子(佐倉アスリート倶楽部) 2時間30分39秒
第16回 02年8月25日
▽男子 S・カンディエ(ケニア) 2時間15分12秒
▽女子 堀江知佳(積水化学) 2時間26分11秒
第17回 03年8月31日
▽男子 E・ワイナイナ(コニカミノルタ) 2時間13分13秒
▽女子 田中千洋(トクセン工業) 2時間34分11秒
第18回 04年8月29日
▽男子 L・カギカ(JFE) 2時間12分20秒
▽女子 千葉真子(豊田自動織機) 2時間26分50秒
第19回 05年8月28日
▽男子 渡辺共則(旭化成) 2時間14分50秒
▽女子 千葉真子(豊田自動織機) ◎2時間25分46秒
第20回 06年8月27日
▽男子 渡辺共則(旭化成) 2時間17分50秒
▽女子 吉田香織(資生堂) 2時間32分52秒

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